2024年11月18日週:子育て中のリスキリング

みなさんこんにちは。先週末、下の娘のところに行ってきました。大阪のとある田舎町です。鳥取からだと高速を使って、一生懸命走って4時間弱かかります。現地滞在時間は2時間少々でしたので往復10時間でした。そう、日帰りです。
 娘は「泊って行けばいいのに」と言ったのですが、翌日どうしてもやらなければならないことがあったためやむなく日帰りをしました。なんで日帰りをしてまで行ったかと言うと・・・まあ、細かい話は良いとして、娘が用足しをしているあいだ子供(孫)の面倒を見ていてほしいということで日帰りをしました。たった2時間のためにと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、子供、特に乳幼児は目が離せません。娘の用足しもとても大切なことでしたので、意を決して高速をぶっ飛ばして行ってきました。
 と、この時、1年半ほど前、もう少し前ですかね?当時の総理大臣が、産休・育休中の女性へのリスキリング(学び直し)支援について、本人が希望することが前提ではあるが「ライフステージのあらゆる場面で、本人が希望した場合には、学び直しを後押しできる環境整備を強化していくことが大事だ」と発言したとの記事が新聞に載っていたことを思い出しました。子育て中のリスキリングについては当時結構物議を醸しました。厳しい意見も出ていたようです。「育児を知らない」とか「育児をなめてる(的な)」などと。面白そうな話にはついつい耳がダンボになる私ですので、当時発信していた媒体にこのことに関するコラムを書きました。読み返してみると結構面白い・・・というか、うーん、確かにというか、そんなようなことでしたので、今回はそのコラムを少し引用しながらお届けしたいと思います。

◆乳児の子育て
 この発言が物議を醸していた当時、私には孫が誕生したばかりでした。孫を生んだ娘は大阪でご主人と暮らしているのですが、里帰り出産ということで、実家のある鳥取で赤ちゃん(私の孫)を産み、育てていました。赤ちゃんはまだ生まれて2か月経っていません。まさに乳飲み子でした。その赤ちゃんは、寝ているか(寝ると言っても2時間かせいぜい3時間ですが・・)、ミルクを飲んでいるか、泣いているかのどれかでした。大袈裟に聞こえるかもしれませんが、本当にそうでした。起きている時間が少しずつ増えていきましたが、それでも10分20分の単位でしか起きていませんでした。眠りから覚める時はいつもお腹がへって、悲しくなって、本当に悲しそうに泣いていました(・・・まるで私自身が体験したように書いていますが、娘はリビングの横の和室で赤ちゃんと寝ていましたの全部わかりました・・・)。ただ、いよいよ我慢できなくなると「悲しそうに」が「いいかげん、ミルク持ってこい!」と言わんばかりの、とても大きな声で泣いていました。そういえば、家内や娘が言うには、赤ちゃんの泣き声は、産院や助産院で聞くほかの赤ちゃんのそれとは大きく違っていて、とても、大きくて物凄い声で泣くそうです。まるでこの世の終わりだと言わんばかりに。

 そういうことですから、娘は赤ちゃんが生まれてからというもの、ろくに眠ることができず毎日が寝不足状態で、食べるのが大好きな娘ですが、寝不足で食欲もなくなるほどでした。それで、見かねた私も自分がいる時には極力赤ちゃんの世話をするのを手伝ってあげたりしました。・・・と言っても私にできるのはミルクができるまでの間に抱っこをして赤ちゃんの気をそらすとか、おむつを替える時にその手助けをするくらいしかできませんでしたが、それでも、娘の子育ての様子、それを手伝っている家内の様子を見ていると、何かしなければという気持ちで、出来ないながらも何かを手伝っていました。赤ちゃんの世話をするのは本当に大変だと思います。
 私自身も2人の子供がいて夫婦で子育てをした経験がありますが、「赤ちゃんってこんなに大変だったっけ?俺も夜中に子供が腹をすかして泣いた時にはミルクができるまでは一緒に起きて抱っこをしたけど、こんなに大変だったっけ?」と思いました・・・恐らく、親というのは子供を育てる時にした苦労というのは苦労と感じないようになっていて、辛かった、しんどかったという思い、イメージはどこかに行ってしまうのではないかなと思います。で、当時娘が感じていた辛さは、「辛いけど辛くないのではないかな?」とも思っていました・・・たぶん。

 ちょっと話が逸れますが、私は娘が出産するときに疑似(?)立ち合いをしました。と言っても単に分娩室と家族の間をスマホのビデオ通話状態にしておいただけなのですが、おまけにもっと言うと私は単身赴任先のマンションで、家内が娘からの電話を受けたスマホのスピーカーと私のスマホスピーカーをくっつけて音だけを聞いている状態でした。でも、その臨場感、というのは不謹慎ですが、とにかくその時の分娩室の状況が伝わってきて、娘の「うーん、、、」という苦しむ声とか「痛いー!!」という声がすぐそばにいるように感じました。
 疑似立ち合い開始から1時間ほどで「オギャーオギャー」という声とともに「おめでとう!」「頑張ったな!」の声と涙が湧きあがりました(あ、涙は私ではなく家内の方です。・・・私は、涙は流しません。死んだ祖母に男が涙を流すのは親が死んだときだけだと言われ、それを守っていますので)。後日、私は娘にその時の様子を聞きました。すると娘は「本当に、死ぬかと思った」と言いました。で、その流れで私は家内にも聞いてみましたが、家内は「たぶんそうだったと思うけど、もう忘れた」と言いました。
 やっぱりそうでした、子育てと同じく出産もその時の辛さ、しんどさ、苦しさはあっても、それ以上の喜びのためなのか、脳みその中で何か特殊な作用が働いているのかは分かりませんが、暫くすると忘れてしまい、「2人目も頑張るぞ!」となるのではないかと思います。

◆子育てとリスキリング
 敢えて子育てと書きましたが、育児から子育て、乳児が幼児になったからといってこの忙しさ、睡眠不足から解放されるとは限りません。いえ、それどころか乳児の場合は自分で動くことができないため、行動範囲を含めた対応内容は限られますが、これがある程度大きくなってきて、6か月頃になると這い這いをして自分で冒険を始めます。この時点でお母さんの対応は、単にベビーベッド若しくは赤ちゃんの寝ている周辺だけであったものが、家じゅう、ひょっとすると2階まで含めた家全体になります。そして1歳前後になると、今度は自分で立ち上がってとことこ歩き始めます。こうなってくるともう目が離せません。そういえば私の娘、今回孫を生んだ娘も1歳の頃、とことこ歩きながら台の上に置いてあった除光液(マニュキアの色落とし)を舐めてしまい、大変なことになったことがありました。
 こんな状態で勉強するというのは、とてもできることではないと思います。当時大家さんという参議院議員が提案した、「産休・育休中の親がリスキリング」などということは最初から無理なことなのです。提案したのも無理がありましたが、これを受けてその「支援した企業に国が補助を」とか、一見見栄えの良い文字ずらだけで「やりましょう」というのは、ちょっと戴けないですよね。あ、お断りしておきますが、私は政府への批判とか政治への批判とかを行っているわけではなく、世間一般の考え方の話をしています。

 というわけで、子育てとリスキリングはなかなか両立させるのは難しいと、私は思うのです。・・・それならそうと最初からそう書けば?という声が聞こえてきそうですが、やっぱりこれも育児、子育ての実情を理解して貰ったうえでお話しした(書いた)ほうが良いと思い、うちのことを含め少々回り道の説明をしてきました。

 最後に、先ほども少し書きましたが、子育ては物凄く大変ですよね。で、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ということわざがありますが、これと似ているのですが少し違っていて、単にその時を過ぎれば忘れてしまうのではなく、「熱さ」とは熱いのではなく「楽しく熱い」若しくは「楽しんで熱い」からその辛さを忘れるものなのだろうな、と思います。うーん・・・なんか閉まらない終わり方ですね(汗)。
 はい、それでは次回も乞うご期待です。さようなら。
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