みなさんこんにちは。年が明けて20日が過ぎようとしています。でも今回は私が住んでいる村のお正月仕来り(しきたり)、風習について書いてみたいと思います。
◆我が村の仕来り
あ、「村」と書きましたが一応町です。鳥取県岩美町と言います・・・まあ良いですか。それと「仕来り」と書きましたが、今現在は仕来りとか風習とかいうようなことではなく、ずっと以前そのような仕来りがあって我が家ではそれをずっと守っているということになると思います。
話を進めます。私が住んでいる鳥取県岩美町大谷というところでは、お正月の初詣の事を元朝詣り(がんちょうまいり)と言って、1月1日元日の朝にやります。世間では大晦日にお寺に行って除夜の鐘をついたら、新年を迎えそのまま神社にお参りに行って初詣になるところも結構多いと思うのですが、うちの実家の辺りでは初詣は元日の朝にやるんです。しかも、元朝詣りをするのは(できるのは)男性だけなのです。元日の朝、家長を先頭に一家の男連中が連れ立って元朝詣りをします。女性たちは男たちがお詣りから帰ってくるまでに正月料理の準備をして、帰ってきたらみんなでお屠蘇を傾けて一年の無事を祈ります。
最近ではそこまで厳密にやってはいないようですが、私の祖父が元気だった頃は(・・40年くらい前?)、元日の朝は男だけがお詣りをしていました。女性は二日にならないとお詣りすることは出来ませんでした。普段は特に女性を蔑視しているとか男尊女卑とかそういった感じではないのですが、正月だけは特別のようです。
◆元朝詣り
元朝詣りは、夜が明けて明るくなってから出かけます。うちは毎年そうですが朝7時半に出発します。持っていくものは懐紙(無かったら半紙)にお米を一掴み入れて捻った(ひねった)もの・・・そうですね、てるてる坊主の頭の部分にお米が入っているものと思って貰えばいいと思います。それとお賽銭の5円玉です。これをお詣りするところの数だけ持っていきます。
お詣りするところは、まずは、村の西側にある弥長神社です。ここは山の斜面に沿って作られていて、お社に行くのに木々に囲まれた150段くらいの石段を上がっていきます。そこのお社、お社の横にいる狛犬さん、お社の20段くらい下にある大きな丸い石、麓にある御堂、その下の祠(ほこら)にお詣りします。そのあと、村の東側にある日野神社、村の中程にあるお稲荷さんの計七箇所にお詣りします。元朝詣りは基本的には自分の足で歩いてお詣りをします。お年寄りの中には車で行く方もいるようですが、うちは歩きです。
まずは弥長神社です。先にも書きましたがここはほぼ山の中にあります。木々に囲まれて鬱蒼とした山の中に入っていく感じです。そのためだと思うのですが、この神社にお詣りするには鉄柵で出来た扉を開けて入っていかなければなりません。恐らく・・というかたぶんそうだと思うのですが、猪が山から村側に入って来られないように鉄柵を張り巡らせているのですが、その猪側(山側)に神社はあります。そこをあけて入っていくのは少し勇気がいります。なんと言いますか、ジョーズがいるかもしれない海に独りぼっちで泳いでいくような感じですかね・・・(笑)
鉄柵の扉を入ったらお浄めの水で手と口を浄めてから弥長神社の最上部のお社に向かいます。苔生した古い石段を一歩一歩上がっていきます。ここを通る時は本当に緊張します。いつだったか石段を上がっている途中に山の中からギャーとかキーとかいう感じの獣の鳴き声が聞こえました。本当にドキッとしますよ。その声が聞こえた瞬間、腰を低くして辺りを見渡して何かが向かってこないか身構えてしまいました。大の大人が言うのも恥ずかしいですが、ちょっと怖かったですね。鹿くらいなら怖くないかもしれませんが、猪だったら怪我をしますからね。何だったら冬眠できなかった熊でも出ようものなら・・・おー怖!でもまあ、たいてい声の主は姿を表すこともなく、なんとかかんとか弥長神社、お堂、祠とその近辺でのお詣りを終えることができるんですがね。
◆全工程1時間
弥長神社関連のお詣りを済ませて、今度は村の東側にある日野神社を目指します。前夜(大晦日)の飲み疲れから「ちょっとしんどいな」と思いつつも自宅を通り越して日野神社に向かいます。日野神社は弥長神社と違って、平地にあり民家も近く、境内は広いし本殿も立派な建物です。
ここは手水舎(お浄めをするところ)でお浄めをしてから鳥居をくぐるのですが、手水舎も弥永神社と違って、大きな石を掘って水溜にしてありその上に立派な屋根も付いています。確かここ日野神社は900年くらいの歴史があると立札に書いてありました。そういえば鳥取県東部で有名な伝統芸能である麒麟獅子舞の奉納舞いなんかもこの日野神社でやられているようですので、やはり由緒正しい神社なのだと思います・・・弥永神社が由緒正しくないということではありませんが(汗)。
本殿の前でお賽銭である5円玉と懐紙に包んだお米を賽銭箱に投入れ、本殿の軒下にぶら下がって入る鈴(本坪鈴と言います)をガランガランと鳴らします。これで心が鎮まります。二礼二拍手一礼のお作法に則ってお詣りをします。「昨年中は大過なく過ごさせていただきありがとうございました。今年も宜しくお願いします」。その後、本殿を時計回りに三周します。一周200mくらいあると思います。900年の歴史を感じさせる古いけどどっしりとした本殿を見ると心が洗われるような気がします。一周するたびに本殿前の本坪鈴をガランガラン、二礼二拍手一礼をします。最後にもう一回二礼二拍手一礼。なぜ、本殿の周りを3周するのかは分かりません。初めて祖父に連れてこられた時にそれをやっていました。祖父が亡くなって父と来た時にもやりました。父が亡くなって私一人で来る今もやっています。やっぱり仕来りだからなのでしょうね。
日野神社が終わると、残るは村の中程にあるお稲荷さんです。ここは弥永神社の中にある小さなお堂と同じような小さな小屋が建っていて、その前にある鳥居も小さい、京都の伏見稲荷の千本鳥居よりも小さい鳥居をくぐってお詣りをします。「なぜこんなところにお詣りするのだろう」と毎年思いますが、でもこれも何十年も前から続いている風習です。不思議ですがやはりここでも同じく二礼二拍手一礼です。
これでお詣りは終わりです。家を出発して帰り着くまで全工程1時間の正月元旦の行事です。なんで、男性だけなのか、なんで日野神社本殿の周りを周るのか、なんでお稲荷さんもなのか・・・分かりません。
これが私の生まれ育った村(町ですが)の仕来り、風習です。
◆おまけ
ところで、お雑煮って日本全国共通のワードですよね。ところが同じワードでも所変われば品変わると言われるように、日本全国その土地々々のお雑煮があります。関東では澄まし汁に角餅、三つ葉に鳴門。関西では白味噌仕立てで丸もちに人参入りと同じお雑煮でもまったく違います。
うちの田舎もご多分に漏れずかなり変わったお雑煮です。うちの田舎ではあんころ餅のことをお雑煮と言います。ちょっと濃い目のぜんざいといった感じなのですが、これをお雑煮と言います。なんか変な感じなのですがでもお雑煮なのです。
恐らくですが、昔々の村民みんなが貧乏だった頃「正月くらいは贅沢を」と高級品の小豆を使ってお餅を食べようということで、正月に食べるお餅の汁(?)だからぜんざい風あんころ餅でも「お雑煮」と呼んだのではないかと思います、、多分。
因みに、うちの奥さんの実家がある鹿児島のお雑煮は里芋がゴロゴロと入って餅はドロドロに煮てお雑煮のイメージとは少し違う物のようです。面白いのが、おせち料理は存在すらしないようです。暖かい所ですからおせち料理のように作り置きで正月三ヶ日の間それを食べるという習慣がなかったようです。所変わればということでその土地々々にそれぞれの風習があるということなのですね。はい。
今回はわが村(町ですが)の仕来り、風習について書いてみました。
それでは次回も乞うご期待です。さようなら。