2025年4月28日週:そういえばずっと昔こんなことがありました

 みなさんこんにちは。このコーナーではよく天気の話をするのですが、いったいどうなっているんでしょうかね日本は。まだ4月だというのに先週は25度を超える夏日・・どころか30度を超える真夏日を記録したところもあるそうじゃないですか。まだ、4月ですよ、4月。気象庁のサイトによると4月の平年気温(30年間の平均気温)は東京で最高気温で18度くらいですから、それから比べてもいかに暑いかが分かりますよね。というか、数値の問題ではなく、感覚的にも春を通り越してすでに初夏ですよね。このコーナーでよく書くのですが、日本から春夏秋冬の四季がなくなってしまい、二季(夏夏冬冬→夏と冬)になってしまったような感じですね。ほんとうにどうにかしてほしいですよね。って、誰に言えばいいんだろう・・・パリ協定を離脱したトランプさんですかね・・・?

 

 ということで今回はとっても怖い思いをしたことについて書きたいと思います。これは私だけでなくみなさんも「こ、こ、怖い」と思ったことがあると思うのですが・・・あ、そうでもないですかね。まあ、確かにそうそう怖い思いばっかりしていたら大変なことですからね。でも後で思い返してみて「あの時はヤバかったな」ということがあると思います。私にもあります。

 色々な「怖い」経験が頭の中をよぎるのですが、一番幼い時の記憶では・・8歳から9歳くらいの時だったと思います。当時私の住んでいる家のそばには同じ年頃の子供が少なくて、遊ぶと言えば年上のお兄さんたちばかりでした。夏はほぼ毎日海に出かけて行って遊びます。遊ぶと言っても砂浜で穴を掘ってとかではなく、専ら沖に泳いで行って足の届かない深いところでボール遊びをします。89歳の子供が沖まで泳いでなど出来るわけがありません。そこで、そのお兄さんたちの中で一番体の大きいお兄さんに沖まで連れて行ってもらうのです。私がお兄さんの背中に手をかけて、お兄さんは平泳ぎで泳ぐのです。そうやって、岸から100mくらいのところ・・もう少しあったかも・・、沖まで連れて行ってくれてそこで立ち泳ぎをしながらバレーボールのような、水球のような、なんだかわかりませんがボール遊びをします。ここでは怖いとは思いませんでした。それどころか楽しくて、ここで泳ぎを覚えました。おかげで体が小さい私でしたが小学校6年生になったら学年で一番泳ぐのが早かったです。早いだけでなく水に慣れていたせいもあると思うのですが、平泳ぎだけでなく、クロール、背泳ぎ、そしてバタフライもこなせて、町の大会では個人メドレーで出場するくらいでした。・・・これは自慢話ではありません。そうやってお兄さんたちと遊んだおかげで泳ぎができるようなったということです。

 ある時のことです。確か春先だったと思います。海では泳げない気温の時でした。今の季節だとわかりませんが、当時の4月、5月はそれこそ春ですから1820度くらいだったのではないでしょうか。とにかく、泳ぎではなく別の遊びをすることになりました。

 うちの海岸は湾状になっていて、海に向かって右側が漁港の端の突堤、真ん中が砂浜、左側が岩場に面した山と、見事に色々な海遊びができるようになっています。漁港で釣り、砂浜で海水浴、岩場で素潜りやキャンプ、釣も良いですね。あ、今キャンプは県の条例で禁止になっていますが当時は普通にやっていましたね。海で泳ぐことが出来ないとなると釣りか山です。釣りもやったことはありますが、近所のお兄さんたちは道具を持ってきてどうのこうのという遊びはしないで、体を使った遊びが専らでした。

 その日は、どうしてなのかは分かりませんが、なぜか「山へ行こう」ということになったようです。お兄さんたちにくっついて後を追いかけまわしている私ですから、山でも海でもお兄さんたちが行くところについていきます。「山に行く」なのですが、麓から山道(・・登山道などという洒落たものはありません)を登って山に行くのではなく、なぜか、なぜか岩場から崖をよじ登って山の上にある道に行こうということになったようです。そうですね・・高さは、10mはあったと思います。直角に聳え立つ10mの崖です。・・本当はもう少し短くて角度も緩やかだったのかもしれません。でも、当時の私にはそう感じました。それくらい怖かったです。

 崖を登るなんてことは聞かされていなかった私は、何が始まるのだろうと見ていました。すると一人のお兄さんが崖をよじ登っていきます。人数が少なかったため、「次々に」と言うのは少し大袈裟ですが、でも一人がよじ登って少ししたら次のお兄さんが「俺も」とよじ登っていきます。そして3人くらいがスタートした後に「お前も行け」と言われました。最初にスタートしたお兄さんはまだてっぺんに着いていません。つまり、もし最初のお兄さんが途中で足を滑らせて落っこちてきたら、下にいるみんなも岩場に叩きつけられます。でも誰もそんなことはこれっぽっちも考えていません。みんな楽しそうに・・と言うのとは少し違いますね、みんな一生懸命崖をよじ登っていきます。

 私もお兄さんたちの真似をしてよじ登っていきました。最初のうち、岩場からそれほど高くないところではそれほどでもありませんでしたが、4m(たぶん)も登ると恐怖がこみ上げてきます。とにかく怖いんです。手が滑ったらどうしよう、足が滑ったらどうしよう、落ちたらどうしようと。たった、4m(たぶん)ですが、下を見ると本当に高く感じるんです。ちょっと話は逸れますが、みなさん脚立というか梯子というかそれに上ったことはあると思うのですが、たった、2mの脚立やはしごでも上から下を見ると結構高く感じますよね。あれと同じで4mでも本当に恐怖を感じました。

 怖くて足も手も竦(すく)んでしまい、上へも下へも行けなくなってしまった私に一人のお兄さんが「下を見るな、上を見て登って来い」と言いました。それを聞いた私は「上を見ても怖いもんは怖い」と心の中で叫んでいました。でも、じっとしていても誰も助けてくれません。これを読んでくれているみなさんは「海で沖まで連れて行ってくれた体の大きなお兄さんが助けてくれるかも」と思われるかもしれませんが、それが出来ないくらい斜面が急なのです。お兄さんたちも自分だけで精いっぱいなのです。私は、怖くても、おしっこチビリそうでも自分で何とかしないといけません。

 私は、意を決して、下を見ないで自分の手元の岩だけを見て、そしてほんの少しだけゴール地点の上を見て少しずつ、ほんの少しずつですが、上に登っていきました。小さな岩に手をかけて、足場を探りながら少しずつ、登っていきました。しんどいとか辛いとかそんなことは何も考えないで登っていきました。

 それから何分、何十分経ったでしょうか、よくわかりませんが、ようやくゴール地点まで登りきることが出来ました。最後はお兄さんの一人が手を引っ張ってくれて崖の上に上がることが出来ました。一人のお兄さんが「よくやったな」と声をかけてくれました。何が何だかわからないうちに何とか登り切った感じですが、やっぱり相当きつかったんだと思います、息はハアハアと乱れていました。そのハアハアの息で「うん」と言ったと思います。自分でも嬉しかったのだと思います。たぶん、いや本当に嬉しかったです。

 

 もしこれがうちの田舎の村ではなく、都会でこんな危ないことをやっていたら、しかもそれを親が知ったら、親御さんはそのお兄さんたちの家に怒鳴り込んでいったかもしれません。それくらい怖くて危なくて、一歩誤ったら命の危険まである遊びでした。でも、何て言うのでしょうか私自身は、終わってみたら楽しかったし、スリルもあったし、何より自分に自信がついた気がしまました。少しだけ大きくなった気がしました。

 これは今から50年くらい前の話です。今の子供たちは年上の先輩から色々なことを教わったりできているのでしょうか・・・。まあ、その時代々々に合った先輩から後輩への伝え方教え方があるのでしょうね。

 

 はい、それでは次回も乞うご期待です。さようなら。

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