みなさんこんにちは。イスラエルとイランは大変なことになっていますね。双方が爆弾落として負傷者を出して。えらいことです。なんだか今日(6月22日)はアメリカがイランの核施設に攻撃したとのことですし・・エーッ!!とんでもないことですね。
今回私は少し疑問に思うことがあります。イスラエルはイランが核開発を進めているから攻撃をしているということですが、「自分のところ(イスラエル)だって核兵器を持っているくせに」と思うのです。それと、北朝鮮が核兵器を開発しているときにはこれほどまでの強引な止め方はしなかったですよね。皆さんそうは思いませんか?なんでここまで凄いやり方で核兵器開発をやめさせようとするのでしょうか。・・で、ちょっと調べてみました。イスラエル建国の際に起こったことを発端にでてきたパレスチナ問題とか色々あってイスラエルとイランは仲が悪かったということらしいです。イスラエルやイランの方には申し訳ありませんが、そういった歴史的な問題があるとは知りませんでした。失礼しました。
でもやっぱり戦争は良くないですよね。今回の攻撃でイスラエル、イランとも一般市民の方も巻き添えになっているそうで、負傷者だけでなく亡くなられた方もいるようです。イスラエル、イランだけではありませんね。ウクライナとロシアも戦争の真っ最中ですよね。戦争という暴力で解決するのではなく、話し合いで解決できないものですかね。そこにはやっぱり政治の力、優れた政治家の方同士で解決できないものですかね。
ところで政治家の「家」とはどういう意味なのでしょうか。また、今はそれほど言われませんが政治屋という言葉もあったようです。この「家」と「屋」って何なのでしょうか。ということで今回は「家」と「屋」について考えてみたいと思います
皆さん「政治家」というのはどういう方のことを指すかご存じでしょうか。私も詳しいことは分かりませんが、政治家というのは国のため、地域のため、公共の利益のために力を尽くして頑張っておられる方のことなのだと思います。正式な定義があるかどうかは分かりませんが、政治家の方は日本のため日本国民のために頑張っておられると思いますので、そういうことだと思います。
では政治屋とは何でしょうか。これも正式な定義があるかどうかは分かりませんが、その字面や音からして決してポジティブな良いイメージを連想させるものではない感じですよね。敢えて文字で表現するとしたなら、政治、まつりごとを行える立場を利用して身を肥やしていく、自身もしく自身の仲間たちの利益になることを目的として活動しているような方なのではないかなと思います。私は選挙で投票したことはありますが、選挙に出たこともなければ当選したこともありませんので、実際の政治というものがどんなものか分かりません。分かりませんが、色々な書物や書き物を読んでいるとそう感じてしまいます。
ずっと昔吉田茂という政治家がいました(歴史上の偉人ですので敬称略です)。日本が太平洋戦争で負けてしまいアメリカの占領下にあった時、何とかして日本を立ち直らせよう、占領下から脱してアメリカや戦勝国から一つの国として認めさせようと頑張った方で、例えばサンフランシスコ平和条約を締結して日本に国としての主権を取り戻したり、日米安全保障条約を締結してアメリカに日本を守ってもらいながら、国力を回復させるために経済復興を目指すということをやられた方です。私、歴史は詳しくないですが、この方やっぱり立派な政治家なのだろうなと思います。
田中角栄という政治家をご存じの方は結構多いと思います(この方も偉人ですので敬称略)。ずっと昔ですが、テレビで「まぁそのぉ」とだみ声の田中角栄の物まねをする芸人さんも多くいらしたと思います。田中角栄といえば「まぁそのぉ」だけでなくロッキード事件が有名ですよね。全日空の航空機購入に際してロッキード社製を買ってもらうために当時の田中角栄首相に賄賂を渡して便宜を図ってもらったというものです。実際にはもっともっと複雑なのですが大雑把にはこんな感じです。と、これだけを見ると「どこが立派な政治家なんだ?」なのですが、この方、色々な功績があります。一番有名なのは日本列島改造論の提唱と実践ですよね。日本中に交通網を発達させて、そうすることにより都市部だけへのヒトやモノやカネの集中を避けたうえで地方を発展させるという考え方です。今日本全国に新幹線が通っていますが、これは田中角栄が提唱した日本列島改造論の中の整備新幹線計画が元にあるそうです。あと、中国との国交回復、日中国交正常化も田中角栄がやりました。他にも「政治家の仕事は法律を作ることだ」と100以上の法案を成立させました。・・・「でも賄賂を受け取ったのでしょう、それって自身の利益のためだよね」という声が聞こえてきそうですが・・・、うーん、裁判では5億円を受取ったということだそうですので、私利私欲のための政治なのでしょうか・・・ということは、田中角栄は政治家ではなく政治屋になってしまいますが、私はどうしてもそうは思えません。この方は立派な政治家だと思うのですが・・・・。
ここでちょっと違う観点で「家」と「屋」について考えてみたいと思います。たとえば武道で言うと、柔道家、空手家、剣道家とありますが、どれも違和感なく「家」ですよね。武道には柔道屋とか空手屋というのは聞いたことありませんよね。では、武道を極めた人、極めようと日々努力している人には屋という分野の方はいないのでしょうか。政治の例でいくと、「家」は公共の利益のために自身を滅して行動する人ということですので・・・、あれ?家は公共の利益追求って、武道を極める方、極めようとしている方は決して公共のというか人様のために武の道を極めようとされてはいないような気がします。
今から50年くらい前ですが、素手で牛を殺したことで有名なった大山倍達という空手家がいました(この方も偉人ですので敬称略)。劇画空手バカ一代のモデルとなったあの大山倍達です。大山倍達はひたすら自分が強くなるために、自分が強くなるためだけに空手に生涯を捧げて、山に籠って猛修行を重ねて、自分が強くなるために世界中の武道家格闘家と戦ったそうです。そう、そこには公共の利益追求とか社会のためにとかそういった考え方はなく、ただ、自身が強くなりたいという自己欲求の探求のために努力をされていました。ということはつまりこの方は、いえ大山倍達だけではなく武道家の方々は空手家、柔道家ではなく空手屋、柔道屋なのでしょうか?どうやらそれも違うようです。とするとどうして「屋」ではなく「家」なのでしょうか。
おそらくですが、「公共の利益追求」というのは置いておいて、「本来の在り方、あるべき姿」を追求する人ということで「家」なのではないかなと思います。ひょっとすると「公共の利益追求」という面に関してもご自身がその道を極めることによって、その極めたコト(?モノ?真髄)を弟子の方を通じて広めることがその方を師として慕っている多くの方の利益になるのかもしれません。そうであるならばそれは立派な公共の利益追求ということになるのではないかと思います。ということはやっぱり武道屋ではなく立派な武道家ということになると思います。
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今更ですが、私、規模は小さいですが魚屋をしています。毎日港の市場(競り場)に行って競りで新鮮な魚を競り落として町の小売店さんに配達しています。タイやヒラメの舞い踊りということではありませんが、市場(競り場)には本当に新鮮な魚たちが並んでいます。時期にもよりますが、カレイやハタハタ、イカやタコ、貝類も種類豊富です。そんな魚たちを新鮮な状態で競り落として、新鮮なままご家庭の食卓にお届けできるよう頑張っています。私は魚屋です。ですが、そこには私利私欲のためではなく、お客様のために日本国民のために幸せをお届けできるように、お届けしたいという思いで頑張っています。その思いは強く持っています。
ということで私は魚屋ではなく魚家と名乗ってもいいのではないかと勝手に思っています。世の中に魚家などと呼ばれる人はいませんから。でも、そういう思いは常に心に持っているつもりです。これからも「屋」なのに「家」の気持ちを忘れないで頑張って行きたいと思います。
・・・魚屋でご飯を食べさせてもらっていますのでお代は頂きますがこれは決して私利私欲ではありません、念のため(^_^;)
それでは次回も乞うご期待です。さようなら。