2024年11月25日週:人生で一番長く起きていたこと(不眠不休で)

みなさんこんにちは。この1週間は特に変わったニュース、面白いニュースはなかったですね。まあ、強いて挙げるならば、先日の衆議院議員選挙の時に国民民主党の玉木代表が言っていた「103万円の壁」について自民公明の与党と国民民主党が「25年度税制改正の中で議論し引き上げる」ということで合意したということと、アメリカの次期大統領に決まったトランプさんが、閣僚やホワイトハウス高官の人事に取り掛かっていて、結構身内というかトランプさんのことが大好きでアメリカファーストを強く理解している人で固めていることが報道されているくらいですかね。あと、大谷翔平選手が満票で大リーグナショナルリーグのMVPを受賞したということくらいでしょうか。そういえば、ブラジルであったG20で中国の習近平さんが現地を訪問して日本の石破総理とも会談したそうですね。で、「戦略的互恵関係」を包括的に推進し、「建設的かつ安定的な関係」を構築するという大きな方向性を共有していることを確認したそうです。因みに、元総理でお亡くなりになられた安部さんが習近平さんと会ったのは総理就任後2年も経ってからということだそうですので、それを考えると結構早いなとは思いますね。それはそれとして、まあ、ビックリするようなニュースはなかったと思います。ということはつまり世の中平和と言うことですかね。そんな平和な世の中ですので、今回はふわっとした、まあどうでもいいような話を書きたいと思います。タイトルにもありますが、人生で一番長く起きていた時のことを書きたいと思います。

 みなさん、最高どれくらいの時間寝ないでずっと起きていられましたか?恐らくですが、多くの方は徹夜で勉強とか、徹夜で仕事とか、徹夜で読書とか色々なことで一晩の徹夜はされたことがおありだと思います。私も一晩は何回もあります。読書で徹夜とか勉強で徹夜はないのですが、仕事での徹夜なら何度もあります。一晩くらいは何ともないですよね。この一晩の徹夜と言うのは、朝起きて翌日の朝まで仕事をして、そのまま仕事をしてから帰って寝るわけですから、一晩の徹夜で24時間プラス12時間、ざっくり36時間起きていることになると思います。この考え方で行くと二晩だと48時間プラス12時間で60時間です。さすがに60時間ぶっ続けで仕事をした経験がある方はそれほどいらっしゃらないかもしれません。・・・たぶん、売れっ子の漫画家さんが締め切りに追われて最後の追い込みをかけるときなんかにはあるかもしれませんが、普通の方はなかなかないですよね。
 私の人生で一番長く起きていた時間は二晩ではなく三晩の84時間です。一声で84時間と言いますが、これは結構長いです。え?何のためにそんなことをしていたかって?そうですよね、普通では考えられませんよね。このことを話そうとするとその時の状況含めてお話をしないとなかなか分かっていただけないと思いますので、掻い摘んで状況のご説明を交えながら人生で一番長く起きていたことについて書いてみたいと思います。

 今から20年近く前だと思います。その当時私は某IT企業でプロジェクトマネージャをやっていました。私が担当していたお客様でコンピュータシステム更新のプロジェクトが始まりました。このお客様の規模は業界では有数のものでサーバも何十台、端末は何千台、基幹システムだけでなく、これに付随する各部門のシステムも何十にもなるとても大規模なシステムでした(業界の中では、ですよ)。データ量も膨大で旧システムから新システムへのデータ移行も物凄い時間がかかるものでした。プロジェクトメンバーの数は基幹システム、各部門システムの担当者を含めると何十人にもなる、プロジェクトとしても大きなプロジェクトでした(業界の中では、です、はい)。
 プロジェクトが発足してから、各種準備を経て色々な打合せ、仕様の確定を進めていき、システムの構築が進んでいきました。そうしながら、プロジェクトの最終段階、第4コーナーに差し掛かるところのシステム切り替えのフェーズに近づいていきました。システム切り替えというのは読んで字のごとし、旧システムから新システムへの切り替え作業を行うことです。書いてしまえばたったこれだけなのですが、実際に行う作業と言うのは、旧システムでの最終業務が終了した後、旧システムから新システムで利用するデータを吸い上げて(抽出して)、それを新システムの形式、様式に合わせて落とし込んで、新システムで使えるようにします。そこには正しく吸い上げられたかどうかの確認、正しく落とし込めたかの確認、動作確認も行わなければなりません。また、単に旧システムから新システムへのデータの移行だけではなく、新システムで新たに追加された機能の確認や、旧システムで持っていた機能が正しく継承されているかの確認も行います。これを基幹システムだけではなく、各部門システムも同じように行う必要があります。業務に関連するシステムだけではなく、ネットワークの切り替えも必要ですし(ネットワークは旧システムのものを流用する場合もありますが、このプロジェクトは新ネットワークへの切り替えがありました)、旧端末の撤去から新端末の設置、動作確認も行う必要があります。ということで、第4コーナーまで来たとは言ってもまだまだ、新システムでの本番稼働までは大きな山場があります。
 最後の山場のシステム切り替えは72時間で行うことになりました。私が人生で一番長く起きていたのは、この時でした。プロジェクトマネージャをやっていたため、その責任上システム切り替えには最初から最後まで現場にいて不測の事態が発生したら即座に対応しなければなりません。そして、当時私が決めたのは6時間おきにお客様の責任者に状況報告を行い、その状況に応じてシステム切り替え続行、またはシステム切り替えを中止して旧システムへの戻し作業を行うかの判断を行い、その提言をしなければなりませんでした。そのため「一旦帰宅しますので何かあったら連絡ください」などとは口が裂けても言えません。本当は三日三晩寝ないでいられるか、正常に頭が働くか不安でしたが、でもやらなければということで気合と根性で突き進みました。
 システム切り替えから24時間経過後、起きてから36時間経過したときは、作業は大きな障害もなくほぼ順調に進んでいき、緊張もあってか私は体調に異常を感じることもなく6時間おきのお客様責任者への報告を進めていきました。48時間経過したころ、起きてから60時間経過したころは、体のしんどさはピークに達していました。でも、ここまではそれまで何回か経験していましたのでそれほど大変さは感じませんでした。本当にきつかったのはここから先でした。今までは2晩の完全徹夜をやってもマンションに帰って寝られたのですが、今回はまだまだ作業は続きます。まだまだゴールは先だという気持ちの辛さと、眠さと、体のしんどさと色々な負の部分が重なって本当に辛かったです。おかげさまでシステム切り替え自体は順調に進んでいました。そのため不測の事態への対応を行う必要はありませんでしたので、まだ良かったです。それと、記憶が曖昧ですが体のしんどさもあったのですが、なぜか、ハイになったというか気持ちが高揚していたような気もします。不思議ですね。脳も体も限界のはずなのに・・・。72時間を経過しようとしていたころ(三日目の朝)には、とっくの昔に体と頭の限界を通り越していましたが、不思議と普通に作業していたことを記憶しています。切り替えが順調でゴールが目前に迫ってきたからでしょうか、それとも眠れないことで脳内に覚醒作用のある物質が流れ出たせいでしょうか、いずれにしても結構元気だったのを覚えています。

 その後、システム切り替え作業は無事終了して本番稼働を迎えました。本番稼働の状況は、まあ、おかげさまでそこそこの状況だったと思います。・・・こうして書いてみると大した思い出というか物凄い大変なことをやったという記憶はないですね。72時間経過後の本番稼働立ち合い含め合計で84時間も、寝ないで、起きっぱなしで作業を行っていたというのにそれほど凄いことをやったというイメージがないのは何故でしょう・・・。そういえば、前回のこのコーナーでこんなことを書きました。『子育ては物凄く大変ですよね。で、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ということわざがありますが、これと似ているのですが少し違っていて、単にその時を過ぎれば忘れてしまうのではなく、「熱さ」とは熱いのではなく「楽しく熱い」若しくは「楽しんで熱い」からその辛さを忘れるものなのだろうな、と思います』これと似ているのではないかと思います。熱かった(辛かった)のは確かにそうですが、熱さ(辛さ)の中に、使命感と言うか責任感というか「やらねば」との 思い が熱さ(辛さ)をそれほど感じさせなかったのではないかなと。結局、我々ヒトが何かをやる時にはこの 思い というのがとても大切なんだろうな、と思います。はい。
 それでは次回も乞うご期待です。さようなら。
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