2025年8月4日週:昔の言葉

 みなさんこんにちは。今とても困っています。ほんとうに本当にこれは大変な問題です。雨が降りません。正確には覚えていませんが、ここ鳥取県岩美町では、恐らく1か月は雨が降っていないと思います(多少雨がパラついた日はありましたがホンの少しだけでした)。毎日毎日かんかん照りで雲一つないとても良い天気です。・・・と、良い天気は良いのですが田んぼの稲には水が必要です。水がないと稲は枯れてしまいます。ほんとうに困ります。そんな中、先日田んぼに水を入れようと思い、いつものように用水路を専用の板で堰(せ)き止めて田んぼに水を引き入れようとやっていたのですが、いつものように勢いよく流れ込んでいきません。
 ・・・たぶんこれを読んで頂いている方のうち半分は(・・もっと少ない?)この状況は分からないですよね。はい、ちょっとだけ説明します。田んぼで稲が育つには多くの水が必要です。その水は用水路から田んぼに水を引き込んで、というか流し込んでいきます。圃場整備(ほじょうせいび)された田んぼでは、用水、排水が簡易に行えます。例えば用水の場合は、地面の中に田んぼ用の水が流れる管が埋めてあります。そしてその管が各田んぼまで埋められていて各田んぼ専用の大きな蛇口が設置されています。その蛇口をひねれば水が出るようになっています。田んぼに水を入れるのは圃場整備されていればとても簡単です。一方圃場整備されていない田んぼでは、田んぼの脇に用水路が通っていてこの用水路から田んぼに水を入れます。エンジンポンプで汲み入れるやり方もありますが、うちの場合は(うちのご近所さんも)用水路を木の板で堰き止めて簡易のダムを作ります。そしてそのダムの水位が田んぼの水口(用水の入口)を上回れば、水の性質(高いところから低いところに流れる)に沿って気持ちよく田んぼの中に水が流れ込んでいきます。水が豊富にある時には稲の株をなぎ倒さんばかりにドドドーッと流れ込んでいくのですが、雨が降らず水が十分ではないこの頃は勢いが足りません。どうかすると、いったん田んぼに入った水が逆に用水路側に戻りそうなほどです。
 早く雨が降ってくれないと本当に大変なことになります。昨年、新潟地方では干ばつのため米が大打撃を受けたということでした。少し前のニュースでも新潟県の山あいの田んぼで同じように日照りで田んぼが乾いて白くなってしまい、稲も本来であればまだ緑色が鮮やかでなければいけないところ薄茶色になり枯れてしまっている映像を観ました。あの映像を観てとても心が痛みました。同じ米を作っている者としては何とも言えない胸を締め付けられるような気持ちでした。それが私たちの地域にも迫り来ようとしています。お天気のことですから、こればっかりは人間の力ではどうしようもありませんが何とかなってほしいです。誰かよく効く雨乞いの仕方をご存じないでしょうか・・・冗談抜きで。

 ということでお天気のことはお天道様と風神様と雷神様にお願いするとして(お天道様も風神様も雷神様もお願いですから協力していただいて雨を降らせてください、パンパン)、今回は昔の言葉についてです。昔の言葉って言われても、ねえよくわかりませんよね・・・。分かり易く言うと、昔使っていた言葉で今はあまり使わなくなった言葉ということです。例えば、お天道様、おてんとうさまもそうですよね。今はあまり、というかほぼ使われないですよね。お天道様というのは太陽さんを神様と見立てて良いことも悪いことも空から太陽さん、お天道様が見ているというようなことらしいです。
 まあ、このお天道様は昔の言葉というにはそれほどでもない感じもしますが、例えば「鉛筆を舐める」という言葉をご存じでしょうか。これなんかは昭和生まれの方であればなんとなくご存じなのではないかなと思います。私も小学生のころ「鉛筆を舐めながら勉強を頑張った」とか「鉛筆を舐めて○○を△△した」というような言葉を聞いたことがありました。
 ・・・ちょっとだけ逸れますが、鉛筆って6mmから7mmの木の棒の中をくりぬいてその中に鉛の芯を詰めたものですよね。ちょっと製造工程とは異なる表現をしましたが、分かり易く言うとそんなもんだと思います。あの芯って鉛ですので舐めたりなんかしたらお腹を壊すと思うのですが、でも鉛筆を舐めるというのが正しいんですよね。
 鉛筆というのは鉛の芯が紙のざらざらにこすり取られて、そのこすり取られた鉛が紙にくっついて文字や絵としてみえるわけなんですが、昔の鉛筆ってあまり質が良くなくて、鉛の芯が紙のざらざらに負けないで鉛筆側に残ってしまうものがよくあったそうです。私の小学校時代にはそんなことはありませんでしたが、私よりもう少しお兄さんお姉さんたちの時代にはそんな感じだったそうです。そこで鉛の芯が紙と仲良くなれるように、つまりよく書けるように鉛筆を舐めながら書くということをしていたんですね。その鉛筆を舐めるという行為はじっくりと考えながら勉強をするということで最初のうちは良い意味で使われていたのですが、そのうち、「誤魔化す」とか「帳尻を合わせる」というあまり嬉しくない意味に変わっていったそうです。
 面白いですよね。小学生の子供がノートに書こうと思ったら鉛筆がうまく書けなくて、鉛筆を舐めながら一生懸命勉強したり試験を受けたりしていたのが、大人が帳簿の帳尻を合わせるために色々考えながら、鉛筆を舐めながら操作をしているようなことに変わっていくのですから。今では鉛筆を舐めるなんて言わないでしょうね。鉛筆を舐める・・・昔の言葉は面白いですね。

 もう一つ。みなさんこんな出だしの歌をご存じでしょうか。
 「おーれ(俺)はこの世で一番♪無責任と呼ばれた男♪」・・知りません?じゃあもう少し。「ガーキ(ガキ:子供)の頃から調子よく♪楽して儲けるスタイル♪♪」。はい、もうお分かりですよね。そうです。植木等さんの無責任一代男(作詞:青島幸男、作曲:萩原 哲晶)です。・・・え?!知らない?・・・そうですか。まあ、確かにこの歌が流行ったのは今から60年以上も前の1962年ですからある程度の年齢の方でないと分かりませんよね。
 で、この歌の中にこんな一節があります。「人生で大事なことは、タイミングにC調に無責任」です。続けて「とかくこの世は無責任、コツコツやるやつぁご苦労さん!」です。これをおちゃらけの方の植木等さん(シリアスではない方)が顔をゆがめながら歌うんです。小さいころ聞いていてとても面白かった記憶があります。ただ、当時の私はこの「C調」という言葉が何のことだか分かりませんでした。
 C調と言えば、「いつもいつもアンタに迷惑かける俺がばかです~♪波に消えた人の名を呼ぶなんて~♪」という出だしで始まるサザンオールスターズの曲をご存じでしょうか。そうです、この歌は1988年に発売された「C調言葉にご用心」(作詞作曲:桑田佳祐)という曲です・・・無責任一代男から28年も経っていますね・・・。この歌詞の中にも「あ、ちょいとC調言葉に騙され~♪」という1節があるのですが、まあ、タイトルにもありますが、ここでも「C調」という言葉が出てきました。実は私、サザンオールスターズのC調言葉にご用心を聞いていた時もこのC調がよくわかっていませんでした。雰囲気としては「いい加減な奴と言う意味なんだろうな」という感じで分かっていた気がしていましたが、なぜ「C調」というのかが分かりませんでした。
 それがつい先日やっとわかりました。C調というのは軽薄でお調子者のことだそうなんです。なんでC調と言うのかというと「調子」を反対から読むと「シーチョー」となるためこう言うようになったそうです。細かくは分かりませんが、ジャズをやる方々が使っていたそうです。よくありますよね、業界用語的な感じで反対から読んで一般人が分からなくするあれ、あれと同じだそうです。耳で覚えた言葉と言うのは、なんとなく意味は分かるのですが、細かい部分はどうでもよくなっています(あ、皆さんはそうではないかもしれませんが、私はそうなってしまっています)。そのどうでもよかった部分ですが、今回は解決してよかったです。
 みなさんもずっと前に耳で覚えた言葉の意味を調べてみたら面白いかもしれませんよ。「あ、この言葉はあれが語源なんだ」とか「あの言葉はこういういきさつで出来たんだ」と分かったらなんとなく幸せで、なんとなく自身の人間の幅が広がったような気がするかもしれません・・・たぶん。

 はい、今回も最後までお付き合い頂きありがとうございました。それでは次回も乞うご期待です。さような
ら。
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