みなさんこんにちは。
最近色んなニュースが飛び込んできますよね。なんと、アメリカとイランが60日間の停戦合意をしてホルムズ海峡がひとまず安心して通れるようになった(良かった!)というのが、私の中での今(6月20日(土)にこのコラム書いています)一番のニュースです。まあ、今日の朝刊のトップは東電がソフトバンクや国内投資ファンド他と資本提携するというのがトップでしたが、それは置いておいて、アメリカ・イランの方がインパクトありますよね。その影響もあってか、日経平均株価が7万円を超えたそうです。ビックリですよね。6万9千円を超えた時にも驚いたのですが、その時はAI関連株が物凄く上がっていてそれで株価全体を押し上げたということでしたので、これ以上は上がらないだろうと勝手に思っていたのですが、スルスルっと普通に上がって行って7万円を軽く超えてしまいました。
・・・と、6月21日(日)の新聞を見たら、イスラエルがレバノンへの攻撃を続けているため覚書に違反しているということで、イランがホルムズ海峡を再度封鎖したということでした。なんてこった・・・
そのくせ円安は全然止まりません。今朝の最新で161円27銭まで下がっていました。日本の政策金利は1%に上がりましたが、それでもアメリカの3.75%には遠く及びません。新しいFRB議長が利上げは当分見送ると言っているそうですがそれでも日本とアメリカの金利差には大きな開きがあります。そのためだけではないと思いますが、やはり円は安いです。弱いです。輸出企業にとっては円安の方が良いかもしれませんが、円安のせいで外国から輸入するものは高くなっています。おまけに日本のGDPは世界4位になってしまいました。ついこの間まではアメリカに次ぐ2位だったのですが、中国に抜かれ、ドイツに抜かれ、このまま行くとインドにも抜かれてしまい5位陥落です。かつて経済大国と呼ばれた日本ですが、いまはこんな体たらくです。・・・エキサイトしてくると、どんどん話がどこかに行ってしまいますね(笑)。悪い癖です。
アメリカとイラン、株価や為替の話だけではなく他にもニュースはあります。熊の出没、熊による被害、あとは鹿児島でサルに襲われた事件もありました。あとは裁判のニュースも結構観ますよね。これは少し(?かなり?)前のニュースですが、京都アニメ製作所の放火殺人事件の被告が死刑確定になったニュースなんていうのもありました。覚えておられる方も多いと思うのですが、この事件、裁判前は「被告の精神鑑定を」と、かなり言われていました。被告に刑事責任能力があるかどうかということを調べるためです。結局は「ある」ということで裁判では刑が確定しましたが。
あと2024年に北九州で起きた中3女子殺傷事件もみなさんの記憶に新しいと思います。この事件はハンバーガーのファーストフード店で順番待ちをしていた中学3年の男子生徒と女子生徒二人に男がいきなり襲い掛かって行って、二人を刺してそのまま逃走したというあれです。背中を刺された男子中学生は命に別状はありませんでしたが、腹部を刺された女子中学生は亡くなってしまいました。犯人はつかまりましたが、犯人と二人には面識はなく、勿論恨みを晴らすとかそういったことも無かったそうです。恐らくそのためだと思うのですが、検察はそれまで例のない2度の鑑定留置(被疑者や被告人の刑事責任能力を判断するために、精神鑑定を行う間、病院や拘置所などに一定期間留置する制度です)をしたそうです、8カ月もかけて。そして、刑事責任能力を問えると判断して起訴したそうです。
事件によっては、「犯行当時被告は心神喪失状態にあり責任を問えないため無罪」という事件もたくさんあるんです。例えば、2017年7月16日で発生した神戸五人殺傷事件というのがあります。これは当時神戸市に住んでいた26歳の男が、祖父や祖母、近隣住民を包丁や金属バットで襲い、3人を殺害し、2人に重傷を負わせたものです。男は、幻聴を聞き、「哲学的ゾンビを殺せば知人女性と結婚できる」という妄想から犯行に及んだとされているものです。この男、裁判で心神喪失が認められ、一審・二審ともに無罪判決が下されました。
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人が亡くなっているのに、加害者が「無罪」です。この言葉の並びだけで、何ともやりきれない思いになるのは私だけではないと思います。心身喪失だの心神耗弱だのといった言葉が並び、「責任能力がないから無罪です」と言われるたびに、私、テレビに向かって「いやいや、それおかしいでしょ」と言っています。だって、被害者は帰ってこないんです。命は一つしかないんです。それなのに、加害者は“責任能力がない”という理由で刑務所には行かず、どこかの病院的なところで治療を受け、いずれ社会に戻ってくる。いや、それってどう考えてもおかしくないですか?。私、いつもニュースを観るたびに本当におかしいと思っていました。
もちろん、法律には法律の理屈があります。刑法39条という条文があって、“善悪の判断ができない状態で行われた行為には刑罰を科せない”という大原則があります。これを「責任主義」と呼ぶそうですが。
なるほど、理屈としては分かります。でも、理屈が分かったところで、心は納得しません。
「責任能力がないなら、そもそも人を殺せないようにしてくれませんか?」
「責任能力がないなら、なぜ社会に出てこられるんですか?」
「無罪って言葉、軽すぎませんか?」
どうしてもこういう気持ちが湧いてきてしまいます。
あまり知られていませんし、私も調べるまでは知りませんでしたが、加害者は「無罪」判決が下されたあと、そのまま娑婆(世間とか社会とか書くよりこの方が実感がわきますので書きました。シャバです)に出てこられるわけではありません。医療観察法病院というところに収容されて、医師、看護師、心理療法士他のスタッフに支援されて社会復帰を目指すそうです。実際、医療観察法病院に入ると自由はほとんどないそうです。退院後も監督がつき、娑婆での生活も厳しく管理されるそうです。“堂々と外を歩く”なんて、現実にはほぼ不可能だどうです。でもやっぱり釈然としません。
なぜでしょう・・・。それは、どれだけまっとうな人間になってシャバに戻ったとしても、その加害者は生きているんです。手足も動かせるし会話もできるんです、生きているんです。でも被害者は亡くなっているんです。この生と死という“命の非対称”は絶対に埋まらないからなんです。
では、刑法39条を変えればいいのでしょうか。「心神喪失でも罰を受けるべきだ」とすればいいのでしょうか。うーん、実はこのことは日本だけでなく世界でも議論されているテーマだそうなんです。イギリスでは「無罪」という言葉を使わないで、“責任能力なしによる特別処遇”という扱いにしているそうなんです。アメリカの一部の州では、心神喪失でも“有罪”とする制度があるそうですし、ドイツでは“治療刑”という仕組みがあって、治療と刑罰を組み合わせているそうなんです。「責任能力がない=無罪」という日本の仕組みは、少なくとも今見た3か国にはないということなんです。
では、日本もイギリスやドイツ、アメリカのように仕組みを変えるべきなんでしょうか。
私は、変える余地は大いにあると思います。たとえば、「無罪という言葉をやめる」、「心神耗弱の減刑を廃止する(心身喪失は無罪ですが耗弱は減刑です)」、「心神喪失でも“治療刑”として処遇する」、「社会復帰の基準をもっと厳しくする」、「遺族の感情をもっと制度に反映させる」です。
もちろん、法律には法律の役割があります。社会の安全を守ること。命の尊厳を守ること。そして、刑罰を適切に運用すること。でも、今現在の法律がどれだけ立派な理屈を持っていても、その理屈が人の感情とズレてしまえば、法律は社会から信頼されなくなってしまうのではないかと思います。
私はこういったニュースを見聞きするたびに「法律は社会の安全と命の尊厳を無視してよいのか」と思ってしまいます。今回色々調べてみると、この私の疑問は法律家の方が何十年も議論してきたテーマだそうなんです。まだ結論に至っていませんが、というか法律を作ったり正しい方向に導く国会は刑法39よりももっと緊急度や重要度の高いものを優先させているのでしょうか?だからなのか「社会の安全と命の尊厳」よりも「責任能力有無」の方が勝ってしまっているのかもしれません。日本だけでなく世界中で色んな事件が起きていますからそっちの方が大変なのでしょうか?
うーん、でもなんかおかしいと思うんだけどな・・・。みなさんはどう思われますか?
はい、ということで今回は結構重たいテーマについて考えてみました。何かの機会にみなさんも考えてみてもらえたらいいかもしれません。それでは次回も乞うご期待です。さようなら。