みなさんこんにちは。
先週号のコラムで政府が為替介入(円安是正のため円買いドル売り)をした話を書いたのですが、その直後になんと日本政府だけではなくアメリカと協調して介入していたというニュースが日本中を駆け巡りました。日本政府の為替介入について書いてしまった後で日米協調介入の話題が出てきたら、私としてはちょっと気恥ずかしいというか、トンビに油揚げというか(?)兎に角ちょっと変な気分でした。ですので今回は世間の話題とかそういったものは書かないで、日常生活の中で起きた話だけを書きたいと思います。では始めます…あ、小説の1シーンのような感じで始めます(汗)。
店の暖簾をくぐった瞬間、外の暑い空気が背中をぐいっと押してくるみたいで、そのまま店の中に押し込まれました。その日は朝から日差しが強くて、気温は三十五度。車を降りて店まで歩くだけで、もう汗がじわっと出てくるような暑さでした。
それでも私は、毎年のお中元の習慣として、この高級和菓子店へ向かいました。先方がここの味を気に入ってくださっているので、「この店で買う」ということ自体が、私にとってはひとつの礼儀みたいになっていました。
店に入ると、ひんやりした空気が肌にまとわりつきました。まず目に入ったのは、広い店内と、ピカピカに磨かれたガラスのショーケース。照明が反射して、なんだかキラキラしていて、子どもの頃に見たお菓子売り場みたいでした。
並んでいる和菓子は、どれも丁寧に作られた感じがして、色もつやつやしていてきれいです。ガラスには指紋ひとつなくて、「ちゃんとしてる店だなあ」と素直に思いました。店員さんも清潔感があって、白いシャツの襟はぴしっとしていて、髪も乱れていません。その姿勢から、この店が「高級」を名乗る理由がなんとなく伝わってきました。私はその雰囲気に安心して、「今年も気持ちよく買い物できそうだ」と思いました。
ふと奥を見ると、店員さんが二人。そのうちの一人は、カウンターで宅配便の送り状を何枚も書いていました。真剣な表情で、丁寧に文字を書いています。それを見て私は、「こんなサービスもしてるんだ」「暑いのに、一生懸命やってるなあ」と、ちょっと感心しました。
その一生懸命さが、店の高級感といい感じに合って見えました。丁寧な仕事をする店だからこそ、贈答品を安心して任せられる。そんな気持ちが自然と湧いてきました。
「こちらで五千四百円になります」若い店員さんが丁寧に包んでくれます。その手つきは落ち着いていて、見ているこちらまで気持ちが整っていくようでした。お中元は、品物だけでなく、贈る側の気持ちも一緒に届けるものです。だからこそ、こうした丁寧な所作を見ると、こちらも背筋が伸びるような気がします。
ところが・・・
「紙袋は三十三円になります」その言葉が、店内の静けさにちょっとだけ「え?」というひびを入れました。一瞬、耳を疑いました。
紙袋が有料?いや、値段の問題じゃありません。お中元です。裸で持っていくわけにはいきません。しかもその紙袋には店の名前が大きく入っていて、厚手で立派なもの。どう見ても宣伝用であり、贈答品の体裁を整えるための必須アイテムです。昨年は無料でした。毎年同じ商品を買っているので、紙袋が無料でついてくるのは当たり前だと思っていました。それが今年は有料。もちろん、袋の有料化が進んでいることは知っています。でも、贈答品に関しては紙袋は商品の一部と考える店が多いはずです。事実、羊羹の〇屋(タイガースっぽい感じの屋号です)や高級和菓子店は、スーパーのレジ袋が有料の昨今でも当たり前のように無料で紙袋を付けてくれます。しかもその店は店構えからしても店名からしても一目で高級和菓子店そのものです。だからこそ、どうにも納得がいきませんでした。
「紙袋は有料なんですか」そう聞くと、店員さんは淡々と「はい」と答えました。その答え方が、どこか事務的で、「申し訳ない」という気持ちなど微塵も感じられず、当然こちらの気持ちに寄り添う感じもありませんでした。さっきまで送り状を書いていた店員さんの一生懸命な姿が印象に残っていた分、なおさら違和感が強くなりました。
「あれだけ丁寧に仕事してるのに、紙袋は有料なのか?」「いや、それより説明の仕方がちょっと雑じゃないか?」そんな思いが胸の中でぐるぐるしました。私は少し考えてから、丁寧に言いました。「やはりこれは普通に考えてもおかしいと思いますので、責任者の方に説明していただけますか」とお願いしました。すると店員さんは、まるで面倒くさいことを言われたかのように、「責任者は銀座です」とだけ言いました。
その言い方は、投げやりというか、やる気がないというか、「ここでは何もしませんよ」とでも言いたげな、妙に突き放した、しかも人を小ばかにした感じでした。
本来なら、「責任者は銀座ですが、店舗責任者として私が対応します」「本部に確認して折り返しご連絡します」「ご不快な思いをさせて申し訳ありません」このどれかは必要だったはずです。でも、そうした言葉は一切ありませんでした。ただ「銀座です」だけ。
この言葉に私は言葉を失っただけでなく、この店員さんとのやり取りをする気力も失ってしまいました。気力というのは少し大げさかもしれませんが、店の宣伝のための紙袋を、店の名前が大きく印刷されている紙袋を、受け取る方の目によく入る部分に店の名前が書いてある紙袋を商品代金とは別にお金を取って購入させることがどれほどヘンテコなことであるか、どれほど理不尽なことであるか、どれほど人を馬鹿にしたことであるかを伝えて、こういった仕組みを変える検討をしてもらうことをお願いしようという気持ちを伝えようというパワーを持ち続けることが出来なくなってしまいました。
結局、私は三十三円を支払い、紙袋を購入し、先方に届けました。店の名前が表にあって一目でその店の高級和菓子であることが分かる紙袋で先方に届けました。私は私としての礼を尽くすためにそうしました。お中元は、こちらの気持ちを形にする行為です。だからこそ礼を尽くすのは当たり前のことです。だからこそ、紙袋は欠かせません。裸のお菓子箱を持ってお中元のご挨拶、なんて聞いたことがありません。お中元を先方にお届けした時に、少しだけ胸にもやもや感が残ったのが少し残念です。
今回私は三十三円が惜しくて店員さんとのやり取りをしたのではありません。それは紙袋を購入したことからしてもお分かりいただけると思います。何というのでしょうか、先にも書きましたが店の名前で売っているような高級な店、或いはブランドとでもいうのでしょうか。そのブランドを大切にしているのであれば、その店を贔屓にしてくれる客やその店の品物を手にする人に対する思いというのは捨ててはいけないと思うのです。たかが百円に満たない紙袋でもです。商品に対する店の人の思いはたった百円にも満たない紙袋が背負っているんです。その大切な紙袋に値段を付けた瞬間からその紙袋には店の思いとかそんなものは一瞬で弾け飛んでしまい、単なる三十三円の紙袋に成り下がってしまうんです。
高級和菓子店の紙袋や高級百貨店の紙袋はスーパーのレジ袋とは訳が違うんです。スーパーのレジ袋であれば、宣伝と言えるような文字やガラはありませんし、あったとしてもお客さんはそれほど気にしていません。それに、スーパーのレジ袋は石油製品であるため「原材料高騰により」ということで一般消費者の理解も得られると思いますし、それに何より、スーパーの買い物はお中元の挨拶でどこかにお届け物にするわけではありませんから、自前のエコバッグで十分なんです。有料でレジ袋を購入するのが嫌だったら自分でエコバッグを持って行けばいいんです。だからスーパーのレジ袋は有料でも誰も「おかしい」とは思わないと思うんです。
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ここまで一生懸命訴えかけてきましたが、みなさんに伝わったでしょうか。伝わってくれていると嬉しいです。私と同じ考えの人もいるかもしれませんがひょっとしたらそうではない人もいるかもしれません。でも、こんなことを考える人はそれほど多くはないのかもしれません。いい機会ですのでみなさんも考えていただけたら嬉しいです。
はい、今回は町で遭遇した「うーん、何だかな~」というお話でした。それでは次回も乞うご期待です。さようなら。